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名古屋地方裁判所 昭和58年(行ウ)8号 判決 1989年9月08日

原告

日本サーキット工業株式会社

右代表者代表取締役

松村司郎

右訴訟代理人弁護士

木村豊

被告

愛知県地方労働委員会

右代表者会長

大塚仁

右指定代理人

中西英雄

志治孝利

近藤達也

荻原善夫

武田康

被告補助参加人

寺沼一雄

右訴訟代理人弁護士

山田敏

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用及び参加によって生じた費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が、原告及び被告補助参加人間の愛労委昭和五五年(不)第三号不当労働行為救済申立事件について昭和五八年三月三一日付けでした命令を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告は、被告補助参加人(以下「補助参加人」という。)を申立人、原告を被申立人とする愛労委昭和五五年(不)第三号不当労働行為救済申立事件(以下「本件救済申立事件」という。)について、昭和五八年三月三一日付けで別紙命令書(写)(略)のとおりの救済命令(以下「本件命令」という。)を発し、右命令は、同年四月二日、原告に交付された。

2  本件命令は、事実誤認及び判断の誤謬により法律の適用を誤った違法な命令であるから、取消を免れないものである。

3  よって、本件命令の取消を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1を認め、同2、3を争う。

三  抗弁

1  本件命令の理由は別紙命令書(写)理由欄記載のとおりであるところ、被告のした事実認定及び判断に誤りはなく、本件命令に違法はない。その理由の要点は以下のとおりである。

2  補助参加人の組合における地位

補助参加人の総評全国金属労働組合愛知地方本部日本サーキット支部(以下「支部組合」という。)における地位を評価するためには、本件命令の対象となった昭和五四年度ないし昭和五六年度の各賃上げ、夏季一時金及び年末一時金についての考課査定(以下「本件考課査定」という。)をした期間(以下「本件考課査定期間」という。)における補助参加人の組合活動のみをとらえるべきではなく、昭和四五年七月の支部組合結成以降の組合活動をとらえて判断すべきであり、補助参加人は支部組合結成と同時に執行委員長に選出され、以後、副委員長、書記長、会計監査などを歴任しているのであるから、同人は支部組合の中核的存在である。

3  本件考課査定の不合理性

補助参加人が本件考課査定期間中に上司である野田稔製造部長(以下「野田部長」という。)からの翻訳についての清書の指示に従わず、添削などを要求する書面に同部長を誹謗中傷する文言を記載したことはあるものの、次の事実をも合せ考えると、補助参加人がこのような行為に及んだ動機には無理からぬ点も認められ、右行為の責を補助参加人のみに負わせることは妥当でない。

(一) 昭和四九年八月ころ、原告が補助参加人に対し、英文の翻訳をするよう指示した時、補助参加人が野田部長に今後自分は翻訳の仕事をするのかと聞いたところ、同部長はこれに答えず、また、翻訳の業務上の必要性などについても補助参加人の間に答えなかった。

(二) 原告の補助参加人に対する考課の評定点が翻訳の業務に従事した当初から社内最低であったため、補助参加人は、その原因が翻訳技術が低く評価されたためであるとし、そうであるならば、誤訳を指摘し、表現を添削するよう野田部長に要求したが、同部長はこの要求に応えなかった。

(三) 原告は、補助参加人に翻訳業務を断続的に命じ、補助参加人には全く仕事のない時期があった。

(四) 昭和五五年八月ころ、野田部長は補助参加人に対し、四冊の技術文献の翻訳を指示したが、当該文献は補助参加人が既に翻訳したものであった。

(五) 補助参加人が翻訳業務に従事していた部屋は、一六〇平方メートルほどの大部屋であり、人の出入りはほとんどないため、補助参加人は昼の休憩時間を除いては、他の従業員とはほとんど話をすることができなかった。

(六) 補助参加人が、勤務時間中に部屋から出て野田部長に新規の技術文献を要求すると、原告は、無断の職場離脱であるとして補助参加人の賃金を減額したことがあった。

また、補助参加人は、昭和五四年四月ころ、野田部長から依頼された公害防止施設の管理を拒否したことがあったが、その当時補助参加人は、公害防止管理者の資格を有していなかったという事情があったのであり、さらに、補助参加人は、原告が命じた公害防止施設に生じる乾燥スラッヂの産業廃棄物処理業者への手渡し業務の応援を拒否したことがあったが、これは、昭和四七年末から昭和五六年一月ころまでの間に一回あったにすぎない。

これらを総合すれば、原告の補助参加人に対する本件考課査定は合理的根拠に乏しいことは明らかである。

4  したがって、原告の補助参加人に対する本件考課査定は合理的根拠に乏しく、補助参加人が支部組合の中核的存在であることを原告が嫌悪したが故の不利益取扱いであり、労働組合法七条一号に該当する不当労働行為である。

四  抗弁に対する認否

1  別紙命令書(写)理由欄中「第1認定した事実」に関する認否

(一) 2(会社における労使関係)の(2)の事実のうち、昭和四五年八月一日、社長、副社長らが補助参加人に対し、支部組合から脱退するよう働きかけたことを否認する。すなわち、当時右三者間で話合がされたことは認めるが、支部組合脱退を働きかけたことはない。

(二) 3(寺沼の担当業務)の(2)(研究開発室での業務)のアの事実のうち、昭和四五年一二月七日、原告が補助参加人を研究開発室に配置転換するに当たって業務内容を説明せず、仕事上適切な指示を与えなかったことを否認する。

(三) 同イの事実のうち、昭和四六年九月一八日、原告の山田俊郎社長、野崎義雄副社長及び加藤正一専務取締役が補助参加人に対し、無能力者呼ばわりして退社を働きかけたことを否認する。

(四) 同ウの事実のうち、同年一〇月一六日原告が補助参加人に対し総務部設備課保守係(新設)に配転を命じた理由が、当時公害防止業務を担当していた近藤長久(製造部生産技術課所属)を他の職務に専念させるためであったことを否認する。当時右近藤から退職願いが提出されていたため同人の後任として補助参加人を充てたものであり、このことは補助参加人にも十分に説明している。補助参加人が右配転命令を拒否したため、原告はやむなく同年一二月二一日北沢暢を新規採用して公害防止業務に就かせた。右近藤は昭和四七年三月三一日付けで正式に退職している。

(五) 3の(3)(技術グループでの業務)のア(配転直後の業務)の(イ)の事実のうち、昭和四七年一一月一七日付けの技術グループを製造部製造部長付にする旨の発令に応じる旨原告に意思表示していたのは技術グループに所属する従業員のうち補助参加人を除く他の者だけであったことを否認する。補助参加人も当時の本村靖製造部長から従来の職場の名称変更について十分に説明を受け納得していた。

(六) 同イ(アディティブプロセスの研究開発業務)の(エ)の事実のうち、技術グループから他課への配転者があったことを否認する。

(七) 同ウ(翻訳業務)の(エ)の事実のうち、補助参加人に対する翻訳業務が断続的に命じられていたことを否認する。原告が補助参加人に対し仕事を与えなかったことは一日たりともない。

(八) 同ウの(オ)の事実のうち、昭和五五年八月ころ、野田部長が補助参加人に対し、四冊の技術文献を翻訳するよう指示したが、当該文献は補助参加人が既に訳したものであったことを否認する。補助参加人が判続(ママ)不能な訳文を提出していたのでわかり易い書体に清書するよう命じたが同人はこの命令に従わなかったものである。

(九) 同ウの(カ)の事実のうち、補助参加人が勤務時間中に部屋から出て野田部長に新規の技術文献を要求すると、原告は無断の職場放棄であるとして補助参加人の賃金を減額したことがあったことを否認する。補助参加人が職場離脱をして賃金カットを受けたのは、業務と無関係にボイラー室及び管理課等に赴いて、他の従業員に言いがかりをつけて業務妨害をした場合である。

(一〇) 同エ(公害防止業務)の(イ)の事実のうち、補助参加人が乾燥スラッヂの産業廃棄物業者への手渡し業務を拒否したのは一回のみであることを否認する。補助参加人が右手渡し業務に従事したのは十数回のうち一回のみであった。

(一一) 4(賃上げ及び一時金)の(1)(会社における人事考課制度)のイの事実のうち、原告が考課実施に当たり各部課長に対し具体的な指示を行わなかったことを否認する。原告はその都度必要と思われる注意事項を指摘して考課査定を担当する部課長に指示を与えていた。

2  抗弁2(補助参加人の組合における地位)、同3(本件考課査定の不合理性)及び同4をいずれも争う。

五  原告の主張

1  不当労働行為の不成立

補助参加人は、次のとおり、本件考課査定期間中支部組合の中核的存在とはいえず、組合活動を殆どしていないものであり、また、右期間中の補助参加人の勤務成績は劣悪であって本件考課査定は合理的なものであるから、原告が補助参加人に対し、労働組合の組合員であることあるいは労働組合の正当な行為をしたことの故をもって不利益な取扱をしたことはない。

(一) 補助参加人の支部組合における地位

(1) 支部組合の組合員は昭和五四年ころには僅か六名となり、そのため同組合の組合員は殆ど役員となっているのであり、補助参加人が役員であったとしても、同人が支部組合において重要な地位を占め、中核的存在であったことを意味しない。

(2) このような全員役員を原則とする状況下でも補助参加人は昭和五三年八月二八日から昭和五六年九月二一日までの間支部組合の役職に一切就いていないのであり(仮に会計監査の地位にあったとしてもこれは対原告関係における組合活動としては全く意味をなさない。)、また、昭和五一年一〇月一八日から昭和六〇年四月一一日までの間、支部組合と原告との団体交渉は三〇回、事務折衝は四回あったが、これに補助参加人が出席したのは一六回だけで、出席しても団体交渉、事務折衝の目的とは無関係なからかい半分の発言をするだけであり、とりわけ、昭和五三年一〇月一三日から昭和五六年四月一三日までの間に一二回にわたって開かれた支部組合と原告との団体交渉には一度も出席していないのであり、本件考課査定期間において補助参加人は殆ど組合活動をしていないものである。

(3) 更に、本件考課査定期間において、補助参加人は、支部組合と意見が合わずに孤立していた。

(二) 本件考課査定の合理性

(1) 補助参加人は、昭和四四年に原告に就職して以来他の職場へ出向、配転等の原告の職務命令に従ったことはない。

(2) 補助参加人が翻訳業務に就いたのは昭和五〇年ころであったが、訳文の記載が乱雑で上司である野田部長から清書を求められても、これを履行したことは殆どなかった。補助参加人は、清書を求められると、野田部長が英語を解することができないことを知りながら同部長に自己の訳文の添削を求め、同部長を困惑させたうえ、添削をしないことを理由に清書に応じなかった。また、訳文を上司に提出するに際しても上司を嘲弄した訳文を提出するなど真面目に翻訳業務に従事しなかった。このようにして、補助参加人は、清書命令に従わなかったものである。

(3) 補助参加人の本件考課査定期間における勤務成績は、他の従業員に比較して極めて劣悪なものであった。因みに、補助参加人は、本件考課査定期間中である昭和五三年二月一七日から同年八月二五日まで、昭和五四年一月一七日から同年九月二六日まで、同年一一月一日から同年一二月六日まで、昭和五五年一月二八日から同年四月一七日まで、同年五月二八日から同年九月一三日までの各期間、原告からの翻訳原稿の清書命令に背き、稼働しなかった。

(4) いわゆる先端産業を業務内容とする原告においては、日進月歩の発展を遂げる業界の現状に鑑み内外から正確に知識を収集する必要があり、このためには外国文献の翻訳業務が欠くことのできないものである。したがって、佐藤専務、守田常務(いずれも当時)らは、自ら外国文献の翻訳による調査研究を手がけてきたが、これらの労を幾分でも軽減するために補助参加人に翻訳を命じたものである。

(5) 補助参加人に対する考課査定が劣悪であった理由は同人の勤務成績によるものであり、他方、当時支部組合の中核的存在であった他の組合員は平均以上の考課査定を受けている。さらに、昭和六三年四月一日、支部組合員六名のうち四名が管理監督者の地位に昇進しているのであり、原告が支部組合の活動を嫌悪して不合理な考課査定をしている事実はない。

2  本件命令内容の違法性

(一) 本件命令主文第一項は、補助参加人を昭和四七年一〇月ころに技術グループが所掌していた業務を担当している部署に配属することを命じているが、補助参加人が現在従事している翻訳業務は右当時技術グループにおいて研究開発の担当者が個々にやっていたものであり、補助参加人はこの翻訳業務を一括して担当しているにすぎない。したがって、補助参加人は本件命令主文第一項が命じている業務に現に従事しているのであり、それにもかかわらず、重ねて右業務に就かせることを命ずる右命令は違法である。

(二) 原告の技術グループは、原告の業務推進に即応するために解消し、現在技術グループは職名として残っているにすぎず、実質的にみて発足当初の技術グループの計画した職務内容を有するものではない。したがって、本件命令主文第一項は不可能を強いるものであり違法である。

(三) 補助参加人は、本件救済命令申立てにおいて、現在の職場から解放し、正常な職場に復帰させる旨求めているが、本件命令主文第一項の記載の趣旨の命令は求めていない。地方労働委員会における救済命令には裁量の余地があるとしても、配転に関してはそれが元来使用者の人事権に属しているものであるから、申立事項の解釈による拡張は許されず、したがって、右命令は補助参加人の申し立てない事項について命令したものであるから違法である。

六  補助参加人の主張

1  原告の主張1(不当労働行為の不成立)の(一)(補助参加人の支部組合における活動)について

(一) 原告は、本件考課査定期間である昭和五三年ころ以降における支部組合と原告の争議関係もしくは右期間における補助参加人の支部組合における形式的な役職名を論じたうえ、右期間の補助参加人の組合活動を理由としては補助参加人に対し不利益取扱をしていない旨主張するが、本件命令は、右期間中の補助参加人の組合活動に限って支部組合の中核的存在であると認定しているのではなく、支部組合が結成された昭和四五年以降の補助参加人を中心とする支部組合の一連の活動を通して補助参加人を支部組合の中核的存在と認定し、かつ、これを理由として補助参加人に対し不利益取扱がされた旨認定しているのであるから、原告の右主張は失当である。

また、本件命令が認定した不利益取扱の一つである大部屋(一六〇平方メートル)に補助参加人を一人隔離し、不必要な翻訳を命じたり、あるいは無為を強制したりした取扱いは、昭和四九年に始まっているのであるから、昭和五三年ころ以降の時期に限って補助参加人の組合活動を論じるのは無益である。

(二) 補助参加人は、昭和五三年ころ以降においても支部組合の中核的存在であった。

すなわち、支部組合は、原告の支配介入故に脱退者が相次ぎ、組合員数は僅か七名前後となってしまい、そのため、かつてのような争議行為は行われなくなったが、補助参加人の職場隔離等の処遇問題が一貫して支部組合と原告との間で最大の懸案となっていた。原告は、補助参加人を隔離し、無為を強制することにより原告会社からの放逐を狙っていたのであり、これに成功すれば原告にとって目障りな存在である支部組合を完全に無力化し、事実上解体させたに等しい結果を生じさせることができる。補助参加人は、隔離及び無為の強制の苦痛に怯むことなく支部組合員であり続け、形式的役職名いかんにかかわらず、支部組合の中核的存在として位置しており、その意味において原告は補助参加人がなお支部組合員であることを嫌悪していた。

(三) 本件考課査定期間において、補助参加人が支部組合と意見が合わずに孤立していたことはなく、本件救済申立てを支部組合としてでなく、補助参加人個人の名においてしたのは、支部組合が小人数(六名)になり、多数の係争事件を抱えてその準備に忙殺されるなどその力量不足によるものである。

2  原告の主張1の(二)(本件考課査定の合理性)について

(一) (1)について

原告の指摘する出向、配転命令は、昭和四五年から昭和四九年の間に集中しているものであり、本件考課査定期間以前のものであるから、これを拒否する補助参加人の行為は本件考課査定の対象期間に入らないものである。

また、右配転、出向命令はいずれも不当労働行為であって、これを拒否するのは正当な組合活動である。

すなわち、原告が補助参加人に最初に出向を命じたのは昭和四五年一一月横浜国立大学の研修生としてであるが、右時期は、同年七月六日支部組合が結成され、補助参加人が執行委員長に選出されて、同月一一日原告が導入を強行した新賃金体系の白紙撤回を余儀なくされたことから、原告が補助参加人に対し大学院時代の教官を利用して組合活動から手を引くように迫ったりして支部組合に支配介入し、同時に御用組合として日本サーキット工業労働組合(以下「サーキット労組」という。)結成を企図し、同年一〇月一七日これを結成させたという、支部組合にとっては存亡の危機ともいうべき時期であり、そのときを狙って右出向命令が出されたのであり、原告の支部組合を弱体化させようという意図は明白であるから、補助参加人がこれを拒否するのは正当である。次に行われたのが研究開発室への配転命令であるが、これを含めその後のいずれの配転命令も不当な支部組合への支配介入を目的とするものであり、それ故に補助参加人はこれらを拒否したのである。原告は一つの配転の命令が奏効しないと判明するや、次の配転ないし機構改革を企図することの繰り返しで一貫して支部組合の弱体化を狙ってきた。

したがって、補助参加人の右出向ないし配転命令拒否をもって考課査定を最低とする理由とすることは許されない。

(二) (2)について

補助参加人が翻訳文の清書の指示に従わなかったことには正当な理由がある。

すなわち、補助参加人は、翻訳業務に従事した最初のころは、まず翻訳文の下書きを原文献と共に上司の野田部長に提出して翻訳の不備、誤りの指摘を求め、上司の承認の後に清書に移るという順序で作業をしていたところ、下書きの提出に対し野田部長からは訂正等の指示や添削はなく、検印が推されて下書きが戻ってくるので自己の翻訳が正当に評価されているものと思っていた。ところが、補助参加人の考課査定は社内最低であったため、補助参加人の当時の仕事は翻訳のみであったから右査定の理由としては翻訳の不出来を措いて他に考えられず、そこで、補助参加人は野田部長に対し、清書の前に添削をするよう要求した。野田部長は、これに対し添削も承認もしないままであったため、補助参加人は清書に至らなかったのであり、その後新たな文献の翻訳の指示がされるという状態が続いた。

また、補助参加人は当初は前記のとおり清書していたものであるが、その時も考課査定は社内最低であったものであり、清書しないことが考課査定の低い理由であるということはない。野田部長は、「翻訳の出来が良くても査定は社内最低にしてやる。」、「査定は翻訳の出来不出来を見ていない総務課がやっている。」等と述べている。

なお、補助参加人が野田部長に英語の読解力のないことを知ったのは昭和五三年三月ころであり、それ以前は補助参加人が文献のうち理解できない箇所につき野田部長に助言を求めると同部長はいつも「後で調べておく。」と回答していたことから、英語を解するものと思っていた。補助参加人は、野田部長の後に上司となった、英語の堪能な守田常務や佐藤専務に対しても添削を求めているのであり、添削を求めることが野田部長を困惑させるためということはないし、添削されれば素直に清書している。

(三) (3)について

補助参加人は昭和四八年ころから大部屋に一人隔離されて、原告から指示されたアディティブプロセスの開発研究に従事していたが、成功の目途が全く立たなかったことから、昭和四九年にその旨の最終報告書を原告に提出したところ、その後しばらくの間は仕事の指示は全くなかった。そして、補助参加人は、昭和四九年八月ころ野田部長から英語の技術文献の翻訳を命じられ、以後途切れ途切れにこれが続いたが、次第になくなり、本件考課査定期間中は殆ど指示がない状況となり、他にも業務指示、命令はなかった。補助参加人は翻訳文の添削を求める際下書きを野田部長に提出してしまい、添削した下書きが戻ってくるまではすることがない状態だった。

(四) (4)について

補助参加人に対する翻訳業務の指示は、原告にとって必要なものではなく、補助参加人に仕事を与えている外形を作出するためのもの、無為の強制を糊塗するためのものにすぎない。そのため、文献の内容は原告の業務と全く関係なくおよそ利用予定のないものだったり、既に翻訳を終えているものについて再度翻訳の指示がされたりしたのであり、翻訳の期限の指定もなかった。なお、原告は右再度の翻訳の指示について提出された翻訳文が判読不能だったのでその清書を求めたものである旨主張するが、清書のためならば提出した下書きを補助参加人に渡せば済むのに、原告は下書きを渡さずに原文献のみを渡している。

(五) (5)について

支部組合員四名が昇進したのは、管理監督者の最も末端の班長、班長補佐でしかない。通常これらの地位には入社後三、四年でなるのであるが、支部組合員は入社後約二〇年を経て初めてなったのである。

補助参加人をこのような地位にさえ昇進させないのは、同人が支部組合の結成以来の中核的存在であったからであり、かつ、支部組合と原告との間の残された最大の懸案は補助参加人の職場問題であり、原告の支部組合への攻撃は現在では補助参加人に集中する形となって現われている。

3  原告の主張2(本件命令内容の違法性)について

(一) (一)について

昭和四七年一〇月ころ、補助参加人は技術グループの部屋で他の従業員六、七名と一緒に作業しており、また、当時の技術グループの仕事は翻訳ではなく、製品の品質管理(サンプル検査等)、製造工程の技術管理・改良、新技術の検討。導入等であったところ、その後、補助参加人はひとり職場隔離され、従来の業務とは異なる翻訳業務をさせられることになったものである。このように、補助参加人の職場環境、担当業務を変更したのが何故なのかが問題なのである。また、原告は従来翻訳は担当者が個々的にやっていたが、これを補助参加人に一括して担当させることにした旨主張するが、仮にそれが真実としても、何故個々に行っていたものを補助参加人に一括担当させることになったのか合理的な説明がない。

(二) (三)について

原告は、本件命令主文第一項は補助参加人が地方労働委員会において申し立てていない事項について命じたものである旨主張するが、補助参加人は地方労働委員会における最終陳述書において、技術グループが所掌していた業務を現在担当する部署は製造部管理課であり、補助参加人は同課への配属を本件救済申立において求めることを明確に主張しているものであり、本件命令は右申立を受けて本件命令主文第一項のとおり表現したのであるから、申し立てない事項について命じたものではない。

また、原告は配転に関しては元来使用者の人事権に属している旨主張するが、もし、右主張が、配転は専ら使用者の業務上の専権であり地方労働委員会といえどもこれを覆す命令を発することができないという趣旨なら明らかに失当である。配転が不当労働行為を構成するものならば、これを覆す命令を発するのは地方労働委員会の本来の権限であることはいうまでもない。そして、本件命令は、補助参加人に対する職場隔離の現状を不当労働行為と認めてそれ以前の正常な職場であった技術グループに対応する現部署への配転を命じたものであり、その性質は原職復帰命令にすぎないのであり、何ら使用者の人事権を侵害するものではない。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二  本件命令の基礎となった事実関係について

被告は、前記一のとおり、本件命令において、原告が補助参加人を異常な職場環境に置いたこと及び補助参加人の昭和五四年度ないし昭和五六年度の賃金及び夏季・年末一時金に関する各考課査定が不合理であることを認定したうえ、これらを労働組合法七条一号に所定の不利益取扱に該当するものと判断して、別紙命令書(写)主文欄記載のとおりの命令を発したものである。そこで、まず、本件命令の基礎となった事実関係について検討することとする。

なお、以下において、補助参加人本人尋問の結果及び本件救済申立事件の審問調書中補助参加人の証言記載部分(<証拠略>)を「補助参加人の供述」、証人山本和弘の証言及び本件救済申立事件の審問調書中同人の証言記載部分(<証拠略>)を「山本の供述」、本件救済申立事件の審問調書中谷口佳次の証言記載部分(<証拠略>)を「谷口の供述」、本件救済申立事件の審問調書中野田稔の証言記載部分(<証拠略>)を「野田の供述」とそれぞれ一括していうことがある。

(証拠略)並びに補助参加人、谷口、山本及び野田の各供述に弁論の全趣旨を総合すれば次の事実を認定することができ、谷口、山本及び野田の各供述のうちこの認定に反する部分は採用できず、他の右認定を覆すに足りる証拠はない。

1  当事者

原告は、電気機材用プリント配線基板の製造販売を営む株式会社であり、その従業員数は原告が入社した昭和四一年ころは約五〇人程度であったものが支部組合の結成された昭和四五年ころは約一三〇人、本件考課査定期間中である昭和五四年ころは約二五〇人と増加し、その後も従業員数は増加し続けており、また、昭和四六年には台湾において台豊サーキット、昭和五五年にはマレーシアにおいてマレーシアサーキットなど関連会社を設立して海外にも進出するなど、発展を遂げてきた。

補助参加人は、名古屋工業大学大学院在学中の昭和四一年一一月に右大学院在籍のまま研修社員として原告の従業員となり、昭和四四年三月まで右大学院に出向という形で研究を続け、同月から原告に出社して技術部に所属し、研究スタッフとして実際に勤務を始め、昭和四五年七月六日支部組合結成と同時にその執行委員長に選出され、以後支部組合の書記長、副委員長、会計、会計監査等の役職を歴任した。

2  支部組合結成の経緯

原告には従前より部課長等管理職も含めた従業員による親睦団体的な従業員組合が存在したが、これに対しては管理職が加入しない労働組合の結成の動きがあった。補助参加人は、昭和四五年五月二五日従業員組合執行委員長に選出され、前執行部からの引継もあって労働組合結成の準備を進めていたところ、同年六月の従業員組合と原告との間の賃上げ、夏季一時金についての団体交渉の席上、原告から一方的に職能給の新設等を柱とした新賃金体系導入の通告があったことから、これに反発した従業員の間で一気に労働組合結成の気運が盛り上がり、同年七月六日約一〇〇人余りの従業員によって支部組合が結成され、補助参加人が初代の執行委員長に選出された。

支部組合が結成されるや、上部団体である総評全国金属労働組合(以下「全金」という。)のオルグの指導の下に補助参加人らを中心とした支部組合が原告と団体交渉をした結果、同月一一日、新賃金体系の撤回等を内容とする協定が締結され、原告はいったんは導入実施した新賃金体系を撤回することを余儀なくされた。

3  支部組合に対する攻撃

原告は、支部組合結成後、係長や班長などの職制を通じて組合員に対し支部組合及び上部団体の全金の非難をするなど切り崩し工作を始めたが、昭和四五年八月一日、原告の山田社長及び野崎副社長は、補助参加人の大学時代の恩師を伴って補助参加人を料亭に呼び出し、補助参加人に対し、これからも組合活動を続けていくのか、技術者として仕事に専念した方が同人のためではないかなどと申し向けて支部組合からの脱退を働きかけたが、補助参加人はこれを断った。

また、支部組合員のうちにも組合結成後間もなく支部組合及び全金の活動方針に不満を抱き、これに対し批判的な立場をとる者も現れ、ことに執行委員(これは従業員組合時代の執行委員がそのまま支部組合の執行委員として選出されている。)の谷口佳次らを中心とする同志グループは、全金からの脱退を主張し、支部組合員に対して全金からの脱退を決議するための臨時支部大会の開催を呼びかけて署名活動を行った。そのため、同月二九日臨時支部大会が開催されたが、全金から脱退することについては反対多数で否決され、その後、同志グループに属していた谷口支部組合執行委員ら数名が支部組合を脱退し、他の支部組合員に対し支部組合からの脱退を呼びかける運動を積極的に展開した。

原告は、同志グループの右活動に対し職制を通じて積極的にこれを支援し、同志グループの構成員が勤務時間中に支部組合からの脱退を勧誘することを黙認し、同志グループのビラ作りにも協力し、とりわけ、原告の加藤正一専務(後の社長)は自ら知合いの印刷会社に同志グループのビラ等の印刷を依頼した。

支部組合において、同年一〇月一七日、臨時支部大会が開催されたが、そこで、同志グループに属する支部組合員から執行委員の不信任案についての緊急動議が提出され、これが反対多数で否決されると、それまで支部に残っていた同志グループ構成員も支部組合を脱退し、同日同志グループを中心とした原告従業員らによりサーキット労組が結成され、谷口佳次が執行委員長に選出された。なお、サーキット労組の結成に際しては電機労連傘下の高岳製作所労働組合執行委員長の指導を受けているが、これは原告の加藤専務の紹介によるものであった。

サーキット労組は、その後支部組合からの多数の脱退者が加入し、同年一二月下旬までに六〇人ないし七〇人の支部組合員が脱退してサーキット労組に加入した。

支部組合は、同年一一月一〇日原告のそれまでの一連の行為について不当労働行為であるとして被告に対し救済申立てをした。

4  原告の補助参加人に対する取扱及び職場環境の変遷

(一)  補助参加人は、前述のとおり原告入社後も大学院において研究を続け、昭和四四年三月から原告の本社工場で勤務することとなり、技術部に配属された。当時の技術部は、製品の品質管理、検査、工程の技術上の管理、改良、新技術の検討、導入等を担当しており、補助参加人は、メッキ工程の自動化に関与し、また、昭和四五年二月ころにはプリント配線基板製造に関するアメリカ調査団の五名の団員の一人にも選ばれ、アメリカに派遣され、同年六月の賃上げ時には同期同学歴の者より昇給において優遇されていた。

(二)  ところが、支部組合結成後の同年一一月下旬、補助参加人は山田社長から突然口頭でメッキ関係の研究のため横浜国立大学へ出向するよう命じられた。補助参加人及び支部組合は、右出向命令は補助参加人を隔離して支部組合の弱体化を図るものと判断してこれを拒否した。原告は、右出向命令にあたり補助参加人に対しメッキ関係の研究という以上に具体的に研究テーマを提示することもなく、また、他にも適任者である表力がいたのにもかかわらず補助参加人に拒否された以降代わりの従業員に対し横浜国立大学への出向を命ずることはしなかった(このことから、当時原告にとって従業員を横浜国立大学へ出向させて研究をさせる必要性はさほど高くはなかったことが窺える。)。

(三)  原告は、同年一二月技術部を生産技術課と研究開発室に分離する機構改革を行い、同月七日補助参加人を研究開発室に配置転換したが、他の技術部員は生産技術課に配属され、研究開発室に配属されたのは補助参加人と生産技術課と兼務する女子事務員一名のみであり、また、研究開発室長は守田昭二営業部長が兼任した。守田研究開発室長は、就任以来一度も研究開発室に出入りすることはなく、女子事務員も生産技術課に常駐していたため、補助参加人は技術部が使用していた大部屋の一隅をスクリーンで仕切った約三・三平方メートルの場所に一人で隔離されたうえ、全く仕事の指示を与えられない状態が続いた。補助参加人は再三原告に対し仕事を与えるよう要求したが、原告は昭和四六年六月一日山田社長が補助参加人に対し何か儲かる商売でも考えるよう指示した他は補助参加人の右要求を無視した。また、同年九月一八日山田社長、野崎副社長及び加藤専務は補助参加人を役員室に呼び出して退職するよう働きかけた。

(四)  原告は、同年一〇月一六日到達の内容証明郵便で補助参加人に対し、新設の総務部設備課保守係へ配転のうえ、公害施設の維持管理及び水質管理等の業務(以下「公害防止業務」という。)の担当を命じた。これは、それまで公害防止業務を担当していた近藤長久が退職の申入れをしたため、その後任者として補助参加人を充てたものである。これに対し、補助参加人は、それまで公害防止業務は製造部長の所管であり、これを担当していた近藤は製造部生産技術課所属であったのに、十分な説明もなく公害防止とは無縁と思われる総務部長の所管に移したうえ保守係を新設して公害防止業務の経験のない補助参加人を配転するのは不自然であること、公害防止業務はその大半を屋外の施設で一人で行うものであることなどから、右配転もそれまでと同様に補助参加人の孤立化を図るものと判断してこれを拒否するとともに、支部組合もこの問題に関し原告に対し団体交渉を申し入れたが拒否されたため、支部組合は、同年一一月一九日、右団体交渉拒否は不当労働行為であるとして被告に対し救済申立てをした。

なお、補助参加人が右保守係への配転命令に応じなかったため、原告は、公害防止業務をいずれも製造部生産技術課ないし技術グループに所属する他の従業員に担当させており、新設の右保守係へ配転することはなく、結局右保守係には代替要員の配置はなかった(このことから、右保守係は補助参加人を配属させるために新設したものであることが窺える。)。

(五)  支部組合は原告を相手として被告に対し、前記のとおり各不当労働行為救済申立てをし、昭和四七年九月一九日当時には被告に不当労働行為救済申立事件が三件係属していたものであるが、同日、被告において支部組合及び全金愛知地方本部と原告との間で、補助参加人の前記(四)記載の配置転換命令を取り消すことなどを内容とする和解が成立し、右各不当労働行為救済申立事件はいずれも取り下げられた。右和解において、原告と支部組合は、補助参加人の復職にあたっては同人の職務上の地位及び職務の内容について改めて協議を行い、相互の了解のもとに決定することが定められた。

これに基づいて、原告は、同年一〇月上旬、生産技術課と研究開発室を併せて技術グループとし、補助参加人を右技術グループに配転した。技術グループは、山田俊郎技師長(元社長)の元に統轄され、当初一〇人弱の従業員が所属し、概ねかつて技術部が担当していた業務を引き継いで所掌しており、補助参加人も他の技術グループ構成員とともに机を並べて職務に従事していた。

(六)  ところが、原告は、同年一一月一七日、山田技師長の退職に伴い補助参加人を含め当時技術グループに所属していた六名の従業員に対し、木村靖製造部長付とする旨の配置転換を命じた。右配転命令について、補助参加人以外の技術グループ構成員はこれに応じたが、補助参加人は原告から事前にその趣旨の説明を受けていなかったため、補助参加人及び支部組合は原告の措置に不信の念を抱き、翌一八日、団体交渉を開催し、原告の加藤正一社長との間で、右配転命令についてはひとまず保留とし、今後具体的な配転ルールを確立する旨の確認がされた。

(七)  右確認に基づき補助参加人に対する新たな配転命令はされなかったが、同年一二月、山田技師長が退職したことにより、技術グループは事実上木村製造部長の業務指示を受けるようになった。このころから、技術グループにおいては従前開催されていた技術グループ会議が開かれなくなり、技術グループ構成員は技術グループ室に寄り付かずにそれぞれ現場に常駐するようになり、技術グループとしてのまとまりがなくなってきた。

(八)  同月、木村製造部長も原告を退職したため、昭和四八年一月、製造部長職が空席のまま野田稔が製造部長代理に就任して製造部の統轄者となり、事実上技術グループも指揮するようになった。なお、同人は、昭和五〇年一月、製造部長に昇格している。

野田製造部長代理は、昭和四八年春ころ、補助参加人に対し、アディティブプロセスの研究開発を命じた。アディティブプロセスとは、プリント配線基板製造の技術の一つで、従来のサブトラクティブプロセスが絶縁基板に銅箔を貼り付け、回路部分以外を取り除く方法であるのに対し、直接回路部分だけを無電解銅メッキで構成する方法であり、当時はまだ実験段階の技術であり、国内における実用例はなかったものであるため、補助参加人は野田製造部長代理に対し、その旨説明して補助参加人一人では開発は不可能で非現実的である旨進言したが、野田製造部長代理はこれを聞き入れず、とにかく研究するよう命じた。

補助参加人は、そのためアディティブプロセスの研究に取り組み、その後約一年間実験等を重ね、その間試作品のサンプルを付して中間報告をしたが、野田製造部長代理はこれについて何らのコメントをすることもなく、研究開発の期限、規模、方法等について全く指示を与えなかった。そこで、補助参加人は、昭和四九年春、それまでの研究の結果を踏まえてこれ以上研究を継続してもアディティブプロセスの開発は無理である旨の簡単な報告書を野田製造部長代理に提出し、同人はこれを上司である守田工場長に伝えたところ、同工場長は即座に研究開発の打切りを決定した。

(九)  原告は、昭和四九年五月、製造部に生産管理課を新設し、従来技術グループが担当していた業務のうち、新技術の検討、導入及び公害防止業務を除いた製品の品質管理、検査、工程の技術上の管理、改良等の業務を所掌させた。これに伴い技術グループには退職者等についての新たな人員の補充がなくなり、昭和四九年ないし五〇年ころには、技術グループに所属するのは、補助参加人及び公害防止業務を担当する河合清二(支部組合員)の二名のみになり、河合は業務の性質上殆ど屋外の施設で作業するため、補助参加人は技術グループ室で一人で勤務するようになった。他方、生産管理課(後に管理課となる。)は、当初は現場の技術者のみから構成されていたが、後に新たに採用された技術系大学卒業者を補充して人員、能力を整え、技術グループを凌駕して原告における技術の中核的地位を占めるようになった。

(一〇)  野田製造部長代理は補助参加人に対し、アディティブプロセスの研究開発打切り後暫くは全く業務指示をしなかったが、昭和四九年八月、補助参加人に対し、英語の技術文献の翻訳を命じた。補助参加人は野田製造部長代理に対し、業務内容が翻訳になるのか否か尋ねたところ、同人はこれに対し明確に返答しなかったが、その後、断続的に補助参加人に対し技術文献の翻訳を命じるようになり、昭和五七年八月に上司が守田工場長に代わるなど上司の交替はあったものの、補助参加人が断続的に翻訳業務を命じられるという状態は現在に至るまで継続し、翻訳業務の命じられない期間は後記廃水処理業務の応援を命じられた以外、補助参加人から再三にわたる要求にもかかわらず、全く仕事の指示がなかった。とりわけ、昭和五七年末から昭和六二年四月までの間、補助参加人は原告から全く業務の指示がなく、仕事を与えられなかった。

また、補助参加人が翻訳業務に従事していた部屋は、元の技術グループ室で約一六〇平方メートルの大部屋であり、補助参加人はここに一人でおり、人の出入りは殆どなく、昼の休憩時間を除いては他の従業員と話をする機会が与えられず、補助参加人が勤務時間中に右部屋を出ると無断職場離脱であるとして賃金を減額されることがあった。なお、補助参加人は、昭和六一年七月、勤務場所が右大部屋から旧ロッカールームに移されたが、一人隔離されている状況は変わらなかった。

(一一)  補助参加人は、翻訳業務を指示された当初は、まず、翻訳の下書きを作成して野田製造部長代理(昭和五〇年一月からは製造部長、以下「製造部長」という。)に提出し、同人はこれに目を通したうえ押印して補助参加人に返却し、補助参加人はその後右下書きを清書するという手順を踏んでおり、野田製造部長は補助参加人の右下書きについて何ら誤訳や欠点の指摘をすることがなかったため、翻訳について普通以上の評価を受けているものと思っていたところ、その年の考課査定において原告が社内で最低であることを知り、その理由としては、他の業務に従事していないことから補助参加人の翻訳が低く評価されたものと考え、野田製造部長に対し、翻訳の下書きについて誤訳や表現の不適切な点について添削するよう要求したところ、同部長は、右要求には答えず、下書きの清書をするよう指示したため、添削が先であると主張する補助参加人との間で論争が繰り返し行われるようになり、補助参加人が提出した下書きはそのまま清書されることなく原文とともに野田製造部長の手元で保管されることとなった。

補助参加人は、主に野田製造部長に対し、前記翻訳業務の指示のない期間には仕事を与えてほしい旨、翻訳の下書きを提出するにあたっては添削を要求する旨、さらに、補助参加人の考課査定が社内最低である理由の説明を求める旨再三にわたり口頭及び書面で申し入れたが、これらの要求は殆ど無視されるに至ったため、昭和五一年一〇月及び同年一二月に原告に提出する書面に野田製造部長や加藤社長を犯罪者呼ばわりするなど侮辱、中傷するような記述をしたり、同人らを「君」づけないし敬称をつけないで呼んだり、野田製造部長に執拗に議論を挑んだりするに及んだ。

また、野田製造部長は補助参加人に翻訳を指示するに際し一般に期限を示さず、翻訳業務の必要性について説明を求められてもこれに答えず、昭和五五年八月ころには、既に指示により翻訳が済んでいた技術文献四冊につき重複して翻訳の指示をしたこともあった(なお、原告は翻訳業務の空白期間は、原告が業務指示をしなかったのではなく、下書きを清書する旨の業務命令を出していたにもかかわらず、補助参加人がこれに従わなかっただけであり、右四冊の技術文献の翻訳の指示についても補助参加人の提出した下書きが判続不(ママ)能だったため、清書を命じたものである旨主張するが、前記認定のように翻訳文献及び下書きは野田製造部長が手元に保管し、補助参加人の手元にはなかったのであり、このことは右四冊の技術文献についても同様であるから、原告の右主張は採用できない。)。

(一二)  補助参加人は、技術グループにおいて断続的に翻訳業務に従事する一方、同じ技術グループの河合が担当する公害防止業務のうち公害防止施設に生じる乾燥汚泥(スラッジ)を産業廃棄物処理業者に引き渡す作業の応援をするよう野田製造部長から指示されたことが十数回あり、これに対し補助参加人は、緊急の翻訳の仕事があった一回を除いては右指示に従って右作業に従事した。

また、野田製造部長は補助参加人に対し、担当の河合が休んだ際に一度だけ廃水処理施設の管理を依頼したことがあったが、補助参加人は公害防止管理者の資格を有せず、その経験もなかったことから、施設の操作を誤って補助参加人に対する処分の口実となることを懸念し、さらに、他に有資格者がいたこともあって、これを断った。

5  補助参加人の支部組合における地位

補助参加人は、昭和四五年五月原告の従業員組合の執行委員長に選出され、同年七月支部組合が結成されると同時にその執行委員長に就任して、昭和四七年八月まで在任し、同月から昭和五一年八月まで書記長、同月から昭和五二年八月まで副委員長、同月から昭和五三年八月まで会計、同月から昭和五六年九月まで会計監査、同月から昭和五八年一〇月まで副委員長、同月から書記長などと支部組合の役職を歴任してきた。補助参加人が会計監査に就いていた昭和五三年八月から昭和五六年九月までの間に、支部組合と原告との間で九回の団体交渉と四回の事務折衝が行われたが、補助参加人はいずれにも参加していないが、その前後の期間は団体交渉に殆ど参加している。支部組合の組合員数は、昭和五〇年ころには一〇人位にまで減少し、昭和五六年ころ以降は六人となっており、各組合員が役職に就き、一人一人が重要な役割を担っている。殊に、補助参加人は、昭和五五年四月二六日、本件救済申立事件を提起し、その後、昭和五八年四月一六日及び昭和六〇年四月二五日にもそれぞれ被告に対し、原告を相手方として不利益取扱排除を求める不当労働行為救済申立事件を提起し、被告において争っている。右各救済申立事件の申立人が補助参加人個人となったのは、支部組合と対立関係にあったからではなく、本来支部組合として取り組むべきものであったが、支部組合としては少人数であることもあって、余力がなかったことから、補助参加人が個人で提起したものであり、支部組合にとっても当時の主要な組合活動の一つとなっていた。

三  原告の補助参加人に対する取扱について

1  前記二認定の事実によれば、原告の補助参加人に対する取扱は次のようなものであった。

補助参加人は、昭和四九年八月ころから英語の技術文献の翻訳を断続的に命じられてこれに従事した他、時々公害防止業務の応援を命じられて乾燥汚泥(スラッジ)を産業廃棄物処理業者に引き渡す業務に従事しただけであって、普段はかつて技術グループが約一〇名程度で使用していた約一六〇平方メートルの大部屋で一人翻訳業務に従事し、また、翻訳業務の指示もしばしば途絶えたため、その間は右大部屋で孤独に堪えながら無為にすごすことを余儀なくされたものである。そして、右状態は、昭和六一年七月に勤務場所が右大部屋から旧ロッカールームに移されたが一人隔離されている状況には変化がなく、上司である野田製造部長ないし守田工場長を初めとして他の従業員は補助参加人の勤務する部屋には殆ど立ち入ることがなく、補助参加人が部屋の外へ出ると無断職場離脱であるとして賃金が減額された程であった。

補助参加人が右のような職場環境に置かれていること自体異常なものといわざるを得ないが、さらに、前記二の認定によれば、上司の野田製造部長は補助参加人に対し、与えた翻訳業務の意義について説明することなく、翻訳の指示のない期間が相当長期にわたり、かつ、翻訳の指示をする際も期限を明示せず、既に翻訳済みの文献を重ねて翻訳するよう命じたりしている。原告は、先端産業を業務の内容とすることこと(ママ)から外国文献の翻訳を欠くことはできず、守田工場長らは自ら翻訳による調査研究をしてきたが、その労を幾分でも軽減するために補助参加人に翻訳をさせてきたものである旨主張するが、右の事実に照らすと、原告が補助参加人に対し命じた技術文献の翻訳については、その必要性について多大の疑問があり、補助参加人をかかる長期間にわたり翻訳業務に専従させておく必要性ないし合理的理由を認めることができない。

2  他方、前記二の認定によれば、原告は、支部組合結成直後から支部組合を嫌悪し、これに反対する同志グループの活動を支援し、第二組合である日本サーキット労組の結成にも関与し、支部組合結成以来の同組合の中核的活動家である補助参加人に対しては、当初は組合活動から手を引くよう働きかけ、これが効を奏さないと見るや、前記二の4記載のとおり補助参加人に対し、同人ないし支部組合の不利益となるような不当な処遇を継続したものであり、とりわけ右の処遇のうち研究開発室への配置転換は、補助参加人を一人だけのスペースに隔離して何も業務指示を与えなかったというものであり、後の大部屋における翻訳業務に極めて類似しているものである。右研究開発室への配転は、被告における和解協定により昭和四七年一〇月に補助参加人を技術グループに配属させることにより一旦は是正されたが、その一、二年後に補助参加人は再び一人だけ隔離された環境で勤務するようになった。もっとも、右勤務環境の変化は、形式的には補助参加人は技術グループに在籍したままであって、原告が補助参加人に対し新たな配置転換命令を発したことはなく、他の技術グループ員が退職したことによる結果にすぎないものであるが、原告は技術グループ員の退職により欠員が生じてもこれを補充することなく、その一方で新たに生産管理課(後に管理課)を設けて、従来技術グループが担当していた業務のうち研究開発(翻訳を含む。)及び公害防止業務を除いたその余の業務を所掌させ、技術系大学卒業者を採用したうえこれに配属して内容の充実を図ったものであり、この経緯に照らせば、補助参加人は名称としては技術グループに残ったものの実質的には原告はその機構自体を改革することにより配置転換したのと同様の結果を招来せしめたものということができる。

なお、原告は、昭和五三年八月から昭和五六年九月まで補助参加人が支部組合の会計監査を担当し対外的活動の場が少なかったことから補助参加人が支部組合の中核的活動家であることを争い、また、原告が補助参加人について支部組合の中核的活動家であるとの認識を有していなかったとして、原告に対する取扱と原告の組合活動との間に関連性がない旨主張するが、補助参加人の大部屋における翻訳業務等は右期間のはるか以前から継続しているのであり、右期間のみをとらえて補助参加人の支部組合における活動を論じるのは適当でなく、支部組合結成時からの補助参加人の活動を評価すべきであるし、また、右期間中においても構成員が六、七名という支部組合の規模、補助参加人の従前の支部組合における活動及び本件救済申立事件を初め被告において原告を相手に争っていたことなどを勘案すると、補助参加人は依然として支部組合の中核的活動家であるというべきであり、原告もその旨の認識を有していたものと認められる。

3  以上を総合すれば、原告は補助参加人に対し、補助参加人を一人だけ隔離して勤務させ、さほど必要性の認められない翻訳業務に断続的に従事させ、その余の期間は無為にすごすことを余儀なくさせるという取扱を長期間にわたり継続してきたものであることが認められるのであり、このような補助参加人に対する処遇は、極めて不自然かつ異常なものであって、補助参加人に精神的苦痛を与えたばかりでなく、他の従業員から孤立させられたことにより支部組合の中核的活動家である補助参加人が組合活動をするについても重大な支障が生じたことが認められる。そして、以上の事実に照らすと、原告の右取扱は、補助参加人が支部組合における中核的活動家であることを原告において嫌悪したことに起因するものと推認することができ、したがって、原告の補助参加人に対するこのような処遇は、労働組合法七条一号所定の不利益取扱に該当し、不当労働行為が成立するというべきである。

よって、これと同旨の被告の認定、判断に違法性はない。

4  原告の主張2(本件命令内容の違法性)について

労働委員会が使用者の行為を不当労働行為と認定した場合にどのような内容の救済命令を発するかについては、労働委員会の合理的な裁量に委ねられているものと解されるから、本件命令が著しく不合理であって濫用にわたるものと認められるものでない限り、これを違法とするべきではない。そこで、以下右見地にしたがって検討する。

(一)  原告の主張2の(一)について

原告は、補助参加人が現に従事している翻訳業務は従前技術グループが担当していた業務であるから、重ねて右業務に就かせることを命ずるのは違法である旨主張するが、前記3のとおり技術グループが従前翻訳も担当していたとしても、技術グループが担当していた業務はそれにとどまるものではないから、原告の右主張は理由がない。

(二)  同(二)について

前記二の4の認定によれば、昭和四九年一〇月上旬ころの技術グループの業務内容は、新技術の検討、導入、公害防止業務、製品の品質管理、検査、工程の技術上の管理、改良等の業務であり、このうち、新技術の検討、導入業務のうち翻訳業務は補助参加人が現に担当し、公害防止業務は河合が担当しているが、その余の製品の品質管理、検査、工程の技術上の管理、改良等の業務は生産管理課(後の管理課)が担当しており、実質的な新技術の検討、導入業務を担当する部署は現在は存在しないものである。

以上によれば、本件命令主文一項の「昭和四九年一〇月上旬ころに技術グループが所掌していた業務を担当している部署」には管理課ないしその後継部署が該当するとみるべきであり、本件命令が不可能を強いるものとはいえないから、原告の右主張は理由がない。

(三)  同(三)について

前記判示のとおり、不当労働行為からの救済のための是正措置の内容については被告の合理的裁量に委ねられるから、救済申立人の申立の趣旨に必ずしも拘束されるものではない。また、補助参加人は正常な職場への復帰を求めているのであり、本件命令主文一項はまさにその旨を具体的に命じているのであるから、補助参加人の申し立てない事項について命令したことにはならない。さらに、不当労働行為を是正するために必要な範囲で使用者の人事権が制限されるのは、労働組合法七条の趣旨、目的から当然であり、配置転換が使用者の人事権に属していることは本件命令を違法ならしめる理由とならないことは明らかである。したがって、原告の右主張も理由がない。

四  本件考課査定について

1  (証拠略)並びに補助参加人、山本及び野田の各供述に弁論の全趣旨を総合すれば次の事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一)  原告における人事考課制度

(1) 原告においては、人事考課の結果に基づき従業員の賃上げ額並びに夏季及び年末各一時金の支給額を決定するものであり、考課査定対象期間は、賃上げについては前年三月二一日から当年三月二〇日まで、夏季一時金については前年九月二一日から当年三月二〇日まで、年末一時金については当年三月二一日から当年九月二〇日までとそれぞれ定められている。

(2) 一般従業員に対する考課査定の項目は、積極、責任感、正確、勤勉及び協力の五項目で、評価の内容は別紙命令書(写)の別紙表(以下「別表」という。)3記載のとおりであり、各項目について別表4記載の評定段階に従って一点から一〇点までの一〇点満点で評定する五項目一〇点法(合計五〇点満点)で査定が行われる。

なお、昭和五四年度から昭和五六年度までの夏季一時金のための考課査定については、当該考課のための部課長会議において各年度の賃上げのための考課と全く一致するとの結論になったため、独自に考課を実施することなく、賃上げのための評定点がそのまま援用された。

(3) 考課は第一次から第三次まで行われ、第一次考課は直属の課長、第二次考課は部長、第三次考課は人事課長がそれぞれ行う。第一次考課は予め人事課で選定した標準者(各考課項目が一〇点満点中六点位になると思われる者)を基準として各項目ごとに課員の考課査定を行い、第二次考課は部に属する各課間のばらつきを調整、第三次考課は各部間の調整を目的とするもであるが、第一次考課が修正されることは希であった。なお、技術グループや資材課のように構成員の少ない課所においては独自に標準者を定めることができないため、他課の標準者を基準に考課されている。

(4) このようにして評定された評定点は、各考課の際に定められた数段階の考課率に置き換えられ、これに基づき実際の賃上げ額ないし一時金支給額が決定される。昭和五四年度から昭和五六年度までの各考課における考課率は別表5記載のとおりであった。賃上げ及び各一時金の算出の計算式は次のとおりである。

ア 賃上げ

前年度の基本給×平均昇給率×出勤率×考課率=当年度の賃上げ額

イ 夏季及び年末各一時金

当年度の基本給×平均支給月数×出勤率×考課率=支給額

なお、出勤率は考課期間中の出勤日数を同期間中の全労働日数で除した商である。

(二)  補助参加人の考課査定

(1) 本件考課査定期間中の補助参加人の評定点及び考課率は別表6記載のとおりであり、いずれも原告の従業員中最低であった。また、一般従業員(班長補佐以上を除く。)の平均評定点、平均考課率及び考課率分布状況を、支部組合、サーキット労組、非組合員別に見ると別表7ないし9記載のとおりであり、平均評定点及び平均考課率はいずれも支部組合が低く、とりわけ補助参加人の評定点及び考課率が際立って低いことが分かる。

(2) 本件考課査定期間中の補助参加人の直属長は野田製造部長であったことから、同部長が補助参加人の第一次考課を実施した。補助参加人についても製造部製造第二課員が標準者として定められていたが、業務内容が異なることから具体的に補助参加人と標準者を比較することはできなかった。野田製造部長は、前記考課五項目を評定するにあたり、「積極」につき自分で翻訳文献を捜さないこと、「責任感」につきタイトルを翻訳しないこと、「正確」につき翻訳の字が読み難いこと、「勤勉」につき野田製造部長が補助参加人のところへ行くと議論を仕掛けてくること、「協力」につき快く仕事を引き受けないことなどを理由として不良ないしやや不良という評定をした旨説明し、同時に「虫の居所」によって評定点が左右されることも自認している。また、野田製造部長は英語を解さないところから補助参加人の翻訳の正確性について評価する能力はなかったが、翻訳文の日本語としての表現方法については高い評価を与えていた。

(3) 補助参加人の翻訳等業務及び野田製造部長との対応の状況は前記二の4のとおりであり、とりわけ本件考課査定期間中の翻訳業務の状況は別紙命令書(写)の別紙図1記載のとおりである。また、本件考課査定期間中に補助参加人が無断職場離脱としてとがめられたのは昭和五三年六月三〇日の一回だけであり、補助参加人の出勤率は別表11記載のとおりであり、出勤率は極めて良好であった。

(4) 補助参加人は、自己の考課査定が原告の従業員中最低であると知り、上司である野田製造部長や人事課の担当者にその理由の説明及び考課査定の評定点等の具体的内容を明らかにするよう求めたところ、原告においては一般に右事項は本人からの要求があればこれを告知する取扱いとなっているのにもかかわらず、補助参加人の右要求についてはまともに対応せず、これを黙殺ないし無視することが多かった。

(5) そこで、補助参加人は原告側の右対応に対して不満を抱き、繰り返し説明を求め、さらに、野田製造部長に提出する翻訳文の下書の冒頭その他原告に提出すべき書類に右不満を自己の業務に対する不満と併せ記載したり、翻訳文の記載方法に不真面目な点が見られたり、さらには、野田製造部長らに執拗に議論を仕掛け、同部長や社長などに対し敬称を付けないで応対した。

2  原告は、本件考課査定が低いのは補助参加人の勤務成績が劣悪であるからであり、本件考課査定は合理性を有する旨主張するので、以上の認定事実及び前記二の事実に基づき本件考課査定の合理性の有無について検討する。

本件考課査定期間中において、補助参加人は前記1の(二)の(5)及び前記二の記載のとおり、野田製造部長ら上司に対し反抗的な態度に終始し、かつ、翻訳文の下書きを清書するよう命じてもこれに従わなかったり、公害防止業務に従事するようにとの要請を断ったりしている。しかしながら、補助参加人が前記のような反抗的態度に終始したことについては、原告の補助参加人に対する不当な処遇ないし対応に起因する部分が多分に存することが認められるのであり、この点について補助参加人のみを責めることは相当でない。また、翻訳文の下書きの清書命令に従わなかったことについては、前記二の判示のとおり補助参加人が当初清書をしていた時期から同人の考課査定は最低であったものであり、他に低い考課査定の理由が思いつかない補助参加人が添削を要求するのも理由があること、本件考課査定期間中においては翻訳業務を与えていない期間の方が長いこと、そもそも翻訳業務の必要性に疑問があることなどを考慮するとこれをもって考課査定を最低にするのは相当でないものというべきである。さらに、公害防止業務の点については、施設全体の管理については資格のない原告に要請すること自体が問題であり、それも一度しかなかったことを勘案すると本件考課査定期間全体の考課を低くする理由にはならず、また、乾燥汚泥(スラッジ)の運搬作業については原告はこれを実行しており、翻訳業務の必要から一度拒否しただけで、しかも、その時期については定かでないのであるから、これもまた本件考課査定を最低ならしめる理由とはなり得ない。

そのうえ、前記1の(一)の事実によれば、野田製造部長が補助参加人の考課査定をするにあたりその項目ごとに真摯に評定を行ったものとは到底認められず、考課する以前に補助参加人を原告の従業員中最低の評定にすることを決めていたことすら窺えるのである。

なお、原告は、補助参加人が本件考課査定期間中において翻訳業務に従事していなかった期間は、原告の翻訳文を清書すべき業務命令に背き稼働しなかったものである旨主張するが、前記二の認定のとおり右期間中、原告は補助参加人に対し何ら業務命令を出さずに無為にすごすことを強いていたものである。

以上の検討によれば、本件考課査定において補助参加人を原告従業員中最低にしたことについて実質的根拠があったものとは到底認められず、本件考課査定の合理性は認められない。

3  そして、前記二、三の判示を総合すると、原告が補助参加人に対し前記のような不合理な考課査定をしたのは補助参加人が支部組合の中核的活動家であることを原告が嫌悪したことに起因するものと認定するのが相当である。

ところで、一般従業員において、補助参加人を除いた支部組合の平均評定点は、昭和五五年年末一時金のための考課以降サーキット労組の平均評定点をわずかに上回っているが、補助参加人の供述及び山本の供述によれば支部組合は当時一般従業員のみで構成されていたところ、サーキット労組は班長補佐以上の管理監督者が数十名おり、これらは一般従業員より原則として評定点が高いこと、支部組合員と同期入社のサーキット労組員は殆ど班長補佐以上になっていることが認められるから、前記事実をもって原告が支部組合の活動を嫌悪していることはないと断定することはできないし、補助参加人に対する考課査定の合理性を裏付けるものとすることもできない。

4  以上によれば、原告の補助参加人に対する本件考課査定はいずれも労働組合法七条一号所定の不利益取扱に該当するものであり、不当労働行為が成立するというべきである。

よって、これと同旨の本件命令に違法性はない。

五  以上の次第によれば、本件命令には原告主張のような違法性はなく、従って原告の請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用及び参加によって生じた費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九四条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 清水信之 裁判官 根本渉 裁判官出口尚明は退官のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 清水信之)

命令書主文

1 被申立人日本サーキット工業株式会社は、申立人寺沼一雄を昭和四七年一〇月上旬ころに技術グループが所掌していた業務を担当している部署に配属し、正常な業務に就かせなければならない。

2 被申立人日本サーキット工業株式会社は、昭和五四年度、同五五年度及び同五六年度の各賃上げ、夏季一時金及び年末一時金の考課における申立人寺沼一雄の考課率を一般従業員の平均考課率まで是正し、是正前の考課率を基礎として既に支払われた金員と考課率の是正に伴い支払うべき金員との差額を、同人に速やかに支払わなければならない。

3 被申立人日本サーキット工業株式会社は、申立人寺沼一雄に対し、下記文書を本命令書交付の日から七日以内に手交しなければならない。

会社が行った次の行為は、労働組合法七条に該当する不当労働行為であると愛知県地方労働委員会において認定されました。

今後、このような行為を繰り返さないよう留意します。

(1) 貴殿を他の従業員から隔離した職場環境に置いて適切な仕事を与えなかったこと。

(2) 昭和五四年度、同五五年度及び同五六年度の各賃上げ、夏季一時金及び年末一時金の考課において、貴殿の評定点を社内最低としたこと。

昭和 年 月 日

寺沼 一雄殿

日本サーキット工業株式会社

代表取締役 加藤正一

4 申立人のその余の申立ては棄却する。

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